地球周回軌道外(月軌道・深宇宙)における宇宙デブリ対策:現行宇宙法の適用可能性と新たな国際規範形成の必要性
はじめに
近年、宇宙活動の領域は地球周回軌道から月軌道(Cislunar space)および深宇宙へと拡大しつつあります。月面着陸ミッションの増加、月軌道プラットフォーム構築計画、小惑星探査や資源開発への関心高まりは、これらの領域における宇宙物体の増加を必然的に伴います。地球周回軌道における宇宙デブリ問題は喫緊の課題として広く認識され、緩和や除去に向けた国際的な議論や国内規制が進められていますが、月軌道や深宇宙におけるデブリ問題は、その特殊性ゆえに地球周回軌道とは異なる法的・政策的課題を提起します。本稿では、月軌道および深宇宙における宇宙活動の現状とデブリ生成の可能性を概観し、現行国際宇宙法の枠組みがこれらの領域におけるデブリ問題にどのように適用されうるか、またその限界は何かを分析します。さらに、将来的な宇宙活動の持続可能性を確保するために必要となる新たな国際規範形成に向けた課題と展望について、法政策的な観点から考察を加えます。
月軌道・深宇宙における宇宙活動の現状とデブリ生成の可能性
月軌道および深宇宙における宇宙活動は、主に科学探査、有人・無人月面ミッション、そして将来的には軌道上サービスや資源開発を目指す商業活動によって推進されています。アポロ計画以降、月面や月軌道には多くの宇宙物体(ランダー、ロケット最終段、探査機など)が遺棄されてきました。アルテミス計画をはじめとする近年の活動再活発化は、これらの領域における宇宙物体の数を飛躍的に増加させる可能性を秘めています。
月軌道や深宇宙におけるデブリ生成の主な要因としては、以下のような点が挙げられます。
- ミッション終了後の遺棄: 月面への軟着陸または衝突、月軌道や特定のラグランジュ点における長期安定軌道への遷移、あるいは深宇宙空間への廃棄軌道投入など、ミッション終了後の宇宙物体処理。特に、月面への衝突や推進剤の意図的な排出は、新たな破片や汚染源となり得ます。
- 運用中の事象: 機器の故障、推進剤タンクの破裂、バッテリー爆発などによる破片生成。
- 衝突: 月軌道や特定の安定軌道における物体の集中による衝突リスク。地球周回軌道に比べて物体の数が少ない現状では低リスクですが、将来的な活動増大に伴い懸念されます。
- 意図的なデブリ生成: 過去の月面衝突実験など、科学目的等による意図的な衝突や破壊。
- 月面上の遺棄物: 月面着陸ミッションによって月面に残された機器や物資。これらが将来的な活動の妨げとなる可能性。
地球周回軌道と比較して、月軌道や深宇宙空間では大気抵抗による自然減衰がほとんど期待できません。一度デブリが発生すると、極めて長期間にわたりその軌道や位置に留まる傾向があります。特に、地球・月系のラグランジュ点周辺のような安定軌道は、物体の滞留リスクが高い領域となり得ます。したがって、これらの領域におけるデブリ対策は、地球周回軌道における対策とは異なるアプローチや考慮が必要となります。
現行国際宇宙法の適用可能性と限界
宇宙デブリ問題は、基本的には「宇宙空間の平和的探査及び利用を含む国家活動を律する原則に関する条約」(宇宙条約)をはじめとする国際宇宙法の枠組みの中で論じられてきました。月軌道や深宇宙におけるデブリ問題に対しても、これらの条約は一定程度適用されます。
- 宇宙条約(OUTS): 宇宙条約は「月その他の天体を含む」宇宙空間に適用されるため、月軌道や深宇宙空間における活動もその対象となります(第1条)。国家は宇宙活動に対し国際的責任を負い(第6条)、自国の活動が宇宙空間や天体に有害なコンタミネーションをもたらすことを避ける義務(第9条)が課されています。デブリ生成は、この有害なコンタミネーションの一種と解釈される可能性があります。また、すべての国による宇宙空間の探査及び利用の自由(第1条)は、持続可能な利用を前提とするため、過度なデブリ生成は利用の自由を侵害する行為と見なされるかもしれません。
- 宇宙物体により引き起こされた損害に関する国際的責任条約(損害責任条約): この条約は、「発射国の宇宙物体」が地球表面または飛行中の航空機に損害を与えた場合、発射国に絶対責任を課し、また地球表面以外の場所で他の国の宇宙物体に損害を与えた場合は、過失責任を課します。月軌道や深宇宙における宇宙物体間の衝突による損害も、この条約の適用範囲に含まれます(第3条)。しかし、これらの遠隔領域では、損害を引き起こした宇宙物体の特定(帰属立証)が地球周回軌道に比べて著しく困難となる可能性があり、条約の実効性に課題が生じます。
- 宇宙物体登録に関する条約(登録条約): 発射国は、自国が発射した宇宙物体を登録し、国連事務総長に通報する義務があります。月軌道や深宇宙に投入された物体も原則として登録対象となります。しかし、登録情報が最新の状態に保たれない場合や、デブリとして破片化した場合には追跡が困難となり、デブリ問題解決への貢献には限界があります。
- 宇宙飛行士の救助、宇宙飛行士が着陸した宇宙物体の返還に関する協定(救助返還協定): 月その他の天体に着陸した宇宙物体についても、その返還に関する規定が適用されますが、これは運用中の物体を想定しており、デブリ化した物体への適用は困難です。
- 月その他の天体における国家活動を律する協定(月協定): 月協定は、その批准国間においては、月面における活動や天然資源の利用について特別な規定を設けています。デブリ問題との関連では、月面や月軌道における平和的利用(第4条)、環境汚染の防止(第7条)、遺棄物の通報(第5条)などが関連し得ますが、締約国が極めて少ない(日本を含む主要宇宙活動国は未締結)ため、国際的な規範としての影響力は限定的です。
これらの主要宇宙条約は、宇宙空間における活動の基本的な原則を定めており、月軌道・深宇宙にも適用されます。しかし、これらの条約は地球周回軌道の過密化やデブリ問題を直接的に想定して作成されたものではなく、月軌道・深宇宙におけるデブリ生成の特殊性や、将来的な活動拡大による具体的な課題(安定軌道利用、推進剤排出、月面遺棄物など)に対して、明確な義務や詳細なルールを提供しているわけではありません。
また、地球周回軌道デブリに関する主要な国際的ソフトローであるIADC(政府間宇宙デブリ調整委員会)のデブリ緩和ガイドラインや、UN COPUOS(国連宇宙空間平和利用委員会)の宇宙活動の長期持続可能性に関するガイドライン(LTSガイドライン)は、主に地球周回軌道におけるミッション設計、運用、ポストミッション処理(GTO投入後の25年ルールなど)に焦点を当てており、月軌道・深宇宙の軌道特性や運用シナリオへの直接的な適用は困難です。例えば、地球周回軌道のような自然減衰が期待できない月軌道や深宇宙では、25年ルールのような軌道寿命に関する考え方はそのまま適用できません。
月軌道・深宇宙固有の法的・政策的課題
月軌道および深宇宙空間におけるデブリ問題への対処は、現行法の限界に加え、この領域固有の様々な課題に直面します。
- 空間定義と管理の難しさ: 地球周回軌道とは異なり、月軌道や深宇宙には高度や軌道傾斜角といった単純な空間区分がありません。特定のミッションに有利な安定軌道(ラグランジュ点周辺軌道、NRHOなど)が存在し、これらの軌道は将来的に過密化する可能性があります。しかし、これらの「軌道」をどのように定義し、どのように管理・調整するのかについて、国際法上の明確な枠組みは存在しません。
- デブリ定義の曖昧性: 従来のデブリ議論は主に地球周回軌道における破片や機能停止衛星に焦点を当ててきました。しかし、月軌道・深宇宙では、推進剤の凝固物、極低温流体の排出、あるいは月面上の遺棄物など、地球周回軌道デブリとは異なる形態や性質の物質が問題となる可能性があります。これらの物質を国際法上の「宇宙物体」や「デブリ」としてどのように定義し、法的規制の対象とするかは議論が必要です。
- デブリ緩和戦略の考案と実施: 月軌道や深宇宙におけるデブリ緩和には、地球周回軌道とは異なる技術的・経済的課題が伴います。ミッション終了後の軌道処理としては、長期安定軌道への移動、月面への制御落下/軟着陸、あるいは太陽系外への廃棄軌道投入などが考えられます。これらのオプションは、推進剤の消費量、技術的難易度、環境への影響(月面汚染、新規デブリ生成リスク)の観点から評価が必要であり、それぞれに対応する国際的な推奨規範や技術標準が求められます。特に、月面への制御落下は、月面の特定の地点(例えば科学的に重要な地点や将来の活動拠点)に影響を与えないよう配慮が必要です。
- 責任と帰属の立証: 長期間安定軌道に留まるデブリや、複数の宇宙物体が関与する可能性のある事象において、損害を引き起こしたデブリの生成源や特定の国の活動に帰属することを立証することは極めて困難です。損害責任条約の過失責任原則の実効性を担保するためには、月軌道・深宇宙における高精度な宇宙状況把握(SSA)/宇宙領域認識(SDA)能力の構築と国際的なデータ共有体制が不可欠です。
- 月面上の遺棄物: 月面活動によって残された機器や物資は、厳密には「軌道上デブリ」ではありませんが、将来的な月面活動において障害物となり、安全な探査や開発を妨げる可能性があります。これらが宇宙条約上の「宇宙物体」に該当するか、また月協定以外の枠組みでどのように扱われるべきかについても、法的な検討が必要です。
- 民間アクターの増加: 商業月着陸ミッションや民間による月軌道プラットフォーム計画など、月軌道・深宇宙における民間活動が増加しています。宇宙条約第6条に基づき、国家は自国の非政府団体の活動に対して「許可及び継続的な監督」を行う義務がありますが、月軌道・深宇宙における民間活動の具体的な許可要件や監督メカニズムについて、各国国内法および国際的な協調の必要性が生じています。
新たな国際規範形成に向けた展望
月軌道および深宇宙における将来的な宇宙活動の持続可能性を確保するためには、現行国際宇宙法の適用限界を認識し、この領域固有の課題に対処するための新たな国際規範形成に向けた議論を早期に開始・加速することが不可欠です。
- 原則の明確化と適用拡大: 宇宙条約の「有害なコンタミネーション」防止義務や、すべての国による宇宙空間の「自由に利用」原則を、月軌道・深宇宙のデブリ問題に具体的に適用するための解釈や、補足的な原則の明確化が求められます。例えば、軌道特性やデブリ形態の特殊性を考慮した、この領域に特有の「有害性」の基準に関する議論が必要です。
- 月軌道・深宇宙に特化したデブリ緩和ガイドラインの策定: IADCやCOPUOS LTSガイドラインを参考にしつつ、月軌道・深宇宙の軌道力学、運用シナリオ、デブリ生成要因の特殊性を考慮した、新たなデブリ緩和に関する技術的ガイドラインや推奨規範を国際的に策定する必要があります。具体的には、ミッション終了後の軌道処理オプション(安定軌道への遷移、月面制御落下など)に関する技術的要件や推奨基準、推進剤排出に関する推奨事項などが含まれるべきです。
- 宇宙状況把握(SSA)/宇宙領域認識(SDA)体制の構築とデータ共有: 月軌道・深宇宙における宇宙物体の追跡・カタログ化能力を向上させ、得られたSSA/SDAデータを国際的に共有するための枠組みを構築することが極めて重要です。これは、衝突リスク評価や損害発生時の帰属立証に不可欠であり、宇宙活動の透明性と安全性を高めます。データ共有の範囲、形式、法的な位置づけに関する国際的な合意形成が必要です。
- 月面上の遺棄物に関する考慮: 将来の月面活動の安全のため、月面上の遺棄物に関する情報共有や、必要に応じた対処(将来的な撤去や回避推奨区域の設定など)に関する国際的な議論を開始することが望ましいでしょう。これは、宇宙条約や月協定の遺棄物に関する規定を補完する形で行われる可能性があります。
- 民間活動に対する国内規制と国際協力: 各国は、自国の事業者による月軌道・深宇宙での活動に対し、デブリ緩和や責任に関する明確な要件を国内法に盛り込む必要があります。また、国際的な規制の整合性を確保し、規制の「穴」や競合を防ぐための国際的な情報交換や協調が重要です。
- 多国間協議の場の活用: COPUOS科学技術小委員会および法小委員会は、宇宙デブリ問題に関する議論の主要な場です。これらの場で、月軌道・深宇宙固有の技術的・法的課題について継続的に議論し、将来的な法的拘束力のある規範へと繋がる可能性のある原則やガイドラインの策定を目指すべきです。アルテミス合意のような多国間合意も、月軌道・深宇宙における活動に関する国家の意図や行動原則を示すものとして、将来的な規範形成に影響を与える可能性があります。
結論
月軌道および深宇宙空間における宇宙活動の拡大は、人類の活動領域を広げる一方で、新たな宇宙デブリ問題という課題をもたらしています。この領域におけるデブリ生成の特殊性、軌道力学の違い、そして商業アクターの増加は、地球周回軌道におけるデブリ問題とは異なる法的・政策的考慮を必要とします。現行国際宇宙法は基本的な原則を定めていますが、月軌道・深宇宙固有の課題に対処するためには限界があります。
将来的な宇宙活動の持続可能性と安全を確保するためには、月軌道・深宇宙に特化したデブリ緩和ガイドラインの策定、強化されたSSA/SDA体制と国際的なデータ共有枠組みの構築、そして民間活動に対する効果的な国内規制と国際的な協調が不可欠です。これらの取り組みは、COPUOSなどの既存の多国間協議の場を活用しつつ、学術界、産業界、政府機関など多様なステークホルダー間の連携を通じて推進されるべきです。月軌道・深宇宙は宇宙活動のフロンティアであり、この新たな領域におけるデブリ問題への早期かつ包括的な法政策的対応は、将来世代が宇宙空間を持続的に利用するための礎を築く上で極めて重要な意義を持つといえます。